Diego Pérez Payán(1514年〜),いつペルーに渡ったかは不明。気性が荒く反抗的な性格。
ペドロ・デ・ヒノホサ将軍の暗殺(1553年5月6日)に参加。その直後、フランシスコ・エルナンデス・ヒロンの反乱軍を鎮圧に貢献した忠臣の一1人だった。
ガルシア・ウルタド・デ・メンドーサとともにチリに渡った。ペルーで功績を残したパヤンとフアン・デ・リバ・マルティンは、親しい間柄だった。チリ遠征の最中のある時に、彼らは激しく争った。マルティンはこの争いで、命に別状は無かったが負傷する事になる。ガルシアは彼らが友人同士である事を知り、厳しく罰することはしなかった。しかし、ガルシアは彼らを自身の前に呼び、彼らの無謀さを咎め叱責した。
1559年には、パヤンはビジャリカに定住し、そこで参事官を務めた。
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