フワン・バウティスタ・パステネ

Juan Bautista Pastene(1507〜 1580年頃),ジェノヴァのペグリ生まれ。スペインに仕えたジェノヴァ人の航海士。両親はトマス・パステネとエスメラルダ・ソリマナ。ジネブラ・デ・セイシャスと結婚し、3人の子供を儲けた。パナマ、コロンビア、エクアドル、ペルー、チリの海岸を探検し、チロエ諸島まで南下した。アメリカ太平洋沿岸を最初に航海した一人である。

 

1526年、自分の船でホンジュラスに到着。その後、1536年にペルーに渡り、フランシスコ・ピサロに仕えた。多くの海洋探検に積極的に参加し、その結果、カルロス1世の勅令によりチリ南部の探検を命じられた。この任務はペルー総督からパステネに与えられ、1543年ラ・マル・デル・スール将軍の称号を与えられた。

 

1544年には、コンセプシオン号の水先案内人兼船長を務めた。同年、バルディビアは彼に南海岸の探検を依頼し、サンペドロとサンティアギージョという2隻の船でマゼラン海峡に到達するよう命じた。この目標は達成できなかったが、海岸の大部分を探検した。その中で最も重要な功績となったのはアイニレボ川(現在のバルディビア川)の発見である。1545年バルディビアは援助を求めてパステネをペルーに派遣した。

 

タグアのエンコメンデロとなった。またサンティアゴ市長、サンティアゴ市会議員、バルパライソの初代知事など様々な役職に就いた。1580年チリのサンティアゴで亡くなった。

20世紀初頭にイタリア系移民によって作られたアラウカニア州カピタン・パステネの町は、彼に敬意を表して名づけられた。またイエズス会の年代記作家アロンソ・デ・オバレの曾祖父にあたる。

 

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