ゴンサロ・ピサロ

Gonzalo Pizarro(1502年 – 1548年4月10日), カスティーリャ王国エストレマドゥーラのトルヒージョ生まれ。フランシスコ・ピサロの異母弟として知られ、インカ帝国征服に加担した。残忍で強欲、かつ獣の様な人物。

 

マンコ・インカ・ユパンキの妻クラ・オクリョはゴンサロの慰みものにならない様に、衝撃的な方法で抵抗を試みた。しかし、ゴンサロの常軌逸した色欲の前になす術がなく陵辱され、残忍なやり方で殺害された。この行いはゴンサロの猟奇的な一面を際立たせた。

 

インカ帝国を搾取していく中、他の兄弟と共にゴンサロもエンコミエンダを手に入れた。しかし、それでは満足せず、1541年にアマゾン地方の探検に出かけたが、得られるものはなかった。

ピサロが暗殺されゴンサロがペルーに帰還した頃、カルロス1世がインディアス新法を発布し、ブラスコ・ヌニェス・デ・ベラをペルー総督として派遣。そこでエンコミエンダの苛政と収奪を制限しようとした際に、ゴンサロはそれに反発する現地のスペイン人をまとめて反乱軍の首謀者となった。ヌニェスはゴンサロ軍との戦いの中戦死して、首まで切られた。

 

そこで1547年にスペイン政府は、新たにペドロ・デ・ラ・ガスカをペルー総督として派遣。1548年4月9日ハキハワナの戦いで、ガスカの軍はバルディビアなどの優秀な将を従えて、ゴンサロとその右腕である「アンデスの悪魔」の異名を持つカルバハルと対決する事になる。
最終的にゴンサロ陣営の多くの者が戦死、もしくはカルバハルを含む多くの者が捕らえらた。遂にゴンサロは降伏したが、カルバハルと共に処刑され生涯の幕を閉じた。

 

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