ガスパル・オレンセ

Gaspar de Orense(1519〜),ブルゴス生まれ。

1543年以前にペルーに派遣され、そこでゴンサロ・ピサロの反乱前のラ・カネラに仕えた。

 

1543年、ピサロの要請によりモンロイとともにバルディビアへの紹介状を持ってチリに向かう。1546年のチリ南制へ参加。1547年12月からフランシスコの指揮下に入る。 1549年1月にフランシスコ達はラ・セレーナを破壊した先住民を厳しく取り締まることに着手した。ワスコ渓谷まで進み、2月28日に到着した。ガスパルは3月6日まで先住民を激しく弾圧した。

フランシスコはバルディビアがチリに戻ったことを知り、ガスパルを5人のスペイン人と共に海岸沿いに派遣した。1549年5月初旬ガルパル一行は、バルパライソ近郊のキンテロ港でバルディビアと落ち合う。ガスパルは何が起きていたのか、先住民がコピアポの人々をどのように殺戮し、ラ・セレーナの町を攻めたかを伝えた。

 

1551年ガスパルは、ラ・インペリアルの共同設立者兼一般市長となり、タボン、クリマレン、グアマケ(またはグアマロ)の先住民の管理を任された。しかし、1553年バルディビアは、ラ・インペリアルの耕作地を、サンティアゴ地区のラペルにあるフアン・ゴメスの耕作地と交換するよう強要した。

1553年12月の大きな戦の時に、ガスパルはインペリアルにいた。後にオロに変わり、コンセプシオンの副総督になる。

 

漆黒の四騎士の筆頭的な存在。粗野な性格で、戦では率先して先陣を切る勇猛な兵士。バックラーと剣を扱う。
キンタ・ノーマルの自治体には、彼の名を冠した通りがある。

 

スポンサーリンク

▶︎戻る

コメント