アロンソ・デ・モンロイ

Alonso de Monroy,サラマンカ出身。1537年にペルーに渡る。クスコでバルディビアはモンロイを中尉兼大尉に任命し、チリ遠征の兵士を集めるための主要な協力者となる。バルディビアは、彼をカラオ(リマ)とアレキパへの数回の募集任務に送り、チリへ向かう途中のアタカマで彼と合流した。

ある時は、先遣隊を率いて峠を改良し馬が落ちないようにするための道具を運んだ。また先住民の案内人が知っている小さな井戸を深くして、旅の後続者の為に良質な水を確保できるようしたりと、モンロイは気配りに長けた功績が多い。

 

1541年7月20日サンティアゴ市の中将に任命された。あらゆる訴訟を裁き、判決を下す立場になり、カビルドの議長も務めた。
同年8月初旬、モンロイは海岸に駐屯してたバルディビアに書簡を送り、デ・ラ・ホスとその支持者によるバルディビア暗殺の陰謀が明らかに示唆されているとの警告をした。バルディビアはすぐに村に戻り、容疑者たちに不利になる確たる証拠は見つけられなかった。
同年9月11日サンティアゴが襲撃された。モンロイは、できる限りの備えをして攻撃に耐えたが、結局、村の破壊を防ぐことはできなかった。

 

1542年1月モンロイは物資を求めてペルーに行く、危険極まりない役目を買ってでた。バルディビアによりその申し出が受け入れると、ペドロ・デ・ミランダと4人の兵士を引き連れ、モンロイはサンティアゴを後にした。

コンコンで建造中の船が焼失したため、水も食料もない無人の地域を永遠と旅する過酷な陸路を歩まなければならなくなった。

 

コピアポの谷を通過する際、先住民の襲撃に遭い4人の兵士達は殺害されしまい、モンロイはミランダも負傷したが、なんとか共に逃げ延びた。しかし、スペイン人脱走兵ガスコが居場所を突き止め、先住民達に彼らは遂に捕らえられてしまった。その集落で大きな影響力のある女性のお陰で生かされる事になった。

モンロイは先住民の指導者の息子に馬の乗り方を教える役目を負わされ、ミランダはフルートの名手であった為、先住民達に驚きと癒しを与えていた。3ヶ月が過ぎ、傷も癒えた頃、ミランダは不注意から指導者を殺してしまい、2人はその集落から脱出した。

 

サンティアゴを出発してから8ヵ月後の1543年9月23日、飢餓状態のままクスコに到着。そこでバカ・デ・カストロが70人の騎馬兵(その中にグレゴリオ・カスティニャダの姿もあった。)と馬、物資を提供し、モンロイはサンティアギージョ号で同年12月にバルパライソに到着し、サンティアゴの苦難を一時的に凌いだ。

 

1544年1月モンロイは60頭の馬とともに陸路でチリに戻った。またバカ・デ・カストロからの重要な文書を持ち帰った。それはバルディビアをチリ副総督として認めているという内容であった。パステネが持ち帰った公認書でもバルディビアはそう認識されていた。バルディビアはこれらの文書を隠し、国王からその地位の確認を得る必要があったにもかかわらず、チリ総督を名乗り続けた。

 

モンロイとミランダが直面した危険から、バルパライソとカヤオの間に中間港を設置し、陸路での中継地とすることの緊急性を明らかにした。この目的のために、後にコキンボ渓谷(現在のエルキ渓谷)に領内第2の都市ラ・セレナが建設された。

ちなみに、モンロイが陸路と海路で持ち込んだ馬は他の品種と混血された。このため彼はチリ馬の品種の創始者の一人とされている。

 

1544年7月パステネは人々に売るための衣類や物資を積んで、所有していた船でバルパライソに到着した。サンティアゴの兵力は、南部の占領を開始するにはまだ不十分だった。そこでバルディビアは何とか2万5千ペソを調達し、モンロイにバルディビアの名義で債務を請け負う権限を与える委任状とともに渡し、再びペルーに向かわせた。モンロイは陸路、パステネは海路でチリに戻った。

さらにバルディビアは国王から統治者としての承認を得る必要があったため、アントニオ・デ・ウジョア(バルディビア暗殺未遂事件のデ・ラ・ホスの共犯者の一人)をこの航海に参加させることにした。アントニオ・デ・ウジョアは、バルディビアからカルロス1世に宛てた、この征服におけるバルディビアの努力と領土の特徴に関する手紙を携えてスペイン本国に向かうことになった。

パステネとモンロイ達は1545年9月4日にラ・セレナから出航し、同月28日にカヤオに到着した。モンロイは兵士の募集を始めたが、ペルー総督府は内戦のため悲惨な状態にあった。ゴンサロ・ピサロが、スペイン政府に反旗を翻していた為である。

1547年12月1日パステネが到着したが、彼は何も持っていなかった。モンロイもいなければ、兵士もいない、商品もなければ、金貨1ペソすらない、借りた船でやってきた。ウジョアの裏切りにあっていた。ウジョアは国王に届けるはずだった手紙を開封し、「他の多くの兵士の前でそれを読み、嘲笑って破り捨てた」。

 

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