Juan Morán de la Cerda(1518年〜),「誉の一四傑」の1人。アルカラ・デル・リオ近郊のグアダルキビール河畔のギレーナで生まれ。新大陸に渡り、サント・ドミンゴに住んでいた。その後、サンタ・マルタ州知事となったオイドールのヘロニモ・レブロンの従者となる為、サンタ・マルタへ渡った。
1540年1月までに遠征隊はそこから出発し、ある者は海路で、またある者は陸路で内陸部へ向かい、カルタヘナ県の辺境に到達。フワン・デ・カステジャノスは、この旅に参加した人々の中にモランがいたことを記している。
モランは、道中で橋を架けるためのロープを持って、最初に川を泳いで渡り、牧場にいた先住民を攻撃した最初の7人の内の一人に数えられている。また、アントン・ペレス・デ・ララの命を危機一髪のところで救い称えられた。
1548年にエステバン・デ・ソーサが連れてきた兵士の増援の一部としてチリに来た。バルディビアの命で、コンセプシオン、ラ・インペリアル、ビジャリカ、バルディビアの発見と開拓に携わった。
1553年12月末日のある日ラ・インペリアルに滞在しており、フアン・ゴメスの命令でプレン要塞の救援に参加。
仲間の窮地を度々救い、着実に任務を遂行する忠義の士。また追い詰められた時のモランの気迫は、勇敢なマプチェ達すらたじろぐ事あった。
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