Antonio de Ulloa(1507〜),カセレス生まれ。ペドロ・サンチョ・デ・ラ・ホスの右手。1535年新大陸に渡り、グアテマラ、次いでペルーに渡った。バルディビアに対する陰謀に加わり、その罪で2ヶ月間投獄されたが、その後赦免となる。1542年には、ソリエの命を奪った陰謀にも加担していたが、公職に就いていなかった為、厳罰に処されることはなかった。
数年後、兄弟が亡くなり相続権を得るためにスペイン本土に戻る事を申請し、バルディビアに許可された。さらに、バルディビアはスペインに戻る為のあらゆる便宜を図り、皇帝への推薦状まで贈り手厚く対応した。
しかしウジョアはその好意に感謝する事はなかった。ウジョアはペルーでゴンサロ・ピサロが反乱を起こすと、キトに向かいアニャキートの戦いでゴンサロ側についた。
ゴンサロはウジョアをバルディビアの仲間と見なしており、ウジョアを通してチリ征服に関する指令を出した。ウジョアは指令を遂行しつつも、ゴンサロにある事を打ち明ける。それは、ゆくゆくはバルディビアを排除し、ペドロ・サンチョ・デ・ラ・ホスをチリ総督に据えるという目論見であった。
一方、バルディビアはしばらくゴンサロ・ピサロの傘下となっていたが、反旗を翻しハキハワナの戦いで、ガスカ側につく事になる。
ウジョアは目まぐるしい勢力争いの中で様々な派閥に属しながら、一貫していたのは反バルディビア派ではあった事だ。
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