Pero Niño,「誉の14傑」の1人だった。
「アラウコの叫び」の作中では、1537年ニーニョはピサロがアロンソ・デ・アルバラドとともにクスコに送った救援隊の一員としてリマを出発した。
ニーニョはたどたどしく話すため過小評価されがちであったが、身体能力の高さを買われアンドレス・デ・ネイラに見出され、バカ・デ・カストロの元で仕えることになる。カストロは友人であるバルディビアが統治するチリのサンティアゴが苦境に陥ると、70人の騎馬兵と馬、物資を提供した。その時騎馬兵の中にニーニョの姿があった。
1555年12月12日にコンセプシオンへ再移住しようとしたスペイン軍がコンセプシオンで敗北した際、アロンソ・デ・アルバラドの甥にあたるフワン・デ・アルバラドと出会い行動を共にした。
ガルシア・ウルタド・デ・メンドーサの統治下では、フワン・レモンと共にサンティアゴへ行き仕事に従事した。フワン・ジュフレのウルトラ・コルディリェーラ遠征(1561年)に同行し、最終的にはロドリゴ・デ・キロガに仕えた。正式な配下としてはなかなか雇われることはなかったが、食客に近い立場で様々な人物の元で働いた。
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