ペドロ・マリーニョ・デ・ロベラ

Pedro Mariño de Lobera(1528年〜),ガリシアのポンテベドラ生まれ。軍人であり年代記作家で、「クロニカ・デル・レイノ・デ・チリ」の著者。エルナン・ロドリゲス・デ・ロベーラ・イ・リベーラとコンスタンサ・マリーニョ・マリナス・デ・ソトマイヨールの子。
メンシア・デ・マラニョンの娘フランシスカ・デ・ミランダと結婚し、アナとアロンソの2人の子供を儲けた。

 

フランスとの戦争に従軍した後、1545年に新大陸に渡る。カルロス1世の命で、ガスカがゴンサロの反乱を鎮圧するよう命じられた時、ロベラはガスカの指揮下にあり、ハバナでガスカ軍に加わった。リマに移動し、1551年にチリに渡るまでペルーに留まった。

 

バルディビアやフランシスコ・デ・ビジャグラが南方で行った作戦に参加し、兵士として活躍。また、ガルシア・フルタド・デ・メンドーサとキロガの行軍にも参加した。息子のアロンソはコディコの戦いなど幾つか戦に父親と同行した。

 

「クロニカ・デル・レイノ・デ・チリ」はイエズス会司祭バルトロメ・デ・エスコバルによって、ロベラのメモの校訂と訂正が行われた。その為文章を見ると、文章を書く技術に長けた人物が手を加えた事が一目瞭然である。
またチリ征服の歴史書の中で、非日常的で超自然的な出来事の記述を最も多く含むまれている。

 

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