Gregorio de Castañeda(1517年?〜),出生地は不明。「誉の十四傑」の1人。妻はベルナルディナ・バスケス・デ・トバルで、娘はマルセラ・デ・カスタニェダ・バスケス・デ・トバル。
カスティニャダはピサロがペルーへ最初に出発した頃の仲間ではなかったが、少なくともリマ包囲が解かれた後、グアマンガの征服には参加していた。
1543年12月20日モンロイが陸路でサンティアゴに到着した際、60人の騎馬隊長としてペルーからチリへやって来た。
バルディビアのサンティアゴ南方の探検に同行し、その後ペルーにまた戻り、1547年9月28日フランシスコ・デ・ビジャグラ達と共にバルパライソから出航。1548年リマでバルディビアの裁判で証言をした。その後も戦場で功績を残し、バルディビアの信頼を得ていき、カビルドの市会議員にも選出された。バルディビアに同行し、バルディビア市の創設に立ち会う。
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