ドン・アロンソ・パチェコ・イ・オルティゴサ

Don Alonso Pacheco,プラセンシア生まれのセラルボ侯爵の甥。アンドレス・ウルタド・デ・メンドーサ達と一緒にチリに来た。アンドレス陣営で歩兵大尉の職を務め、エンコミエンダを与えられた。

 

ただ、後にフランシスコ・デ・ビジャグラの義妹との結婚を拒否したことを理由に、授かったエンコミエンダは取り上げられ、レイノーソに与えられたと言われている。パチェコは権利の剥奪に不満を抱き、チリ出国を試みる。が、妨害にあいに苦しい日々が続いた。

 

ついに出国の許可か出て、サンティアゴの港まで航海し、剥奪された者の一人であるドン・ペドロ・デ・ロベラと共にコキンボの港まで辿り着いた。パチェコはこの様な苦境な中でも騎士然としていた。

 

やむを得ずコキンボから陸路でチリ出国を試み、道中で何者かの襲撃に遭うが返り討ちにする。襲撃者達の命までは奪わず、その場を後にした。そしてチリに戻ることは無かった。晩年はプランセンシアの近くで余生を過ごした。「非常に気高い紳士」と評されていた。

 

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