ガブリエル・デ・ビジャグラ

Gabriel de Villagra(1519年〜), サンタルバス・デ・カンポス生まれとの説がある。フワン・デ・ビジャグラとカタリナ・オソリオの子。フランシスコ・デ・ビジャグラの母とは従兄弟にあたる。ガブリエルにとってはフランシスコは従甥となるが年は下になる。

 

総督ブラスコ・ヌニェス・ベラの軍隊に所属しティエラフィルメに向かった。そこからアロンソ・デ・トレスと共にベラグアへの旅に出た。親友であり同志であったアントニオ・バカが反乱を起こし、ガブリエルは討伐に向かう事になる。友情と忠実な家臣として義務の中で葛藤を余儀なくされた。バカ軍を鎮圧することに成功はしたが、バカとの絆は崩れ、ガブリエルはこの地を去りペルーに向かった。

 

当時ゴンサロ・ピサロの乱の真っ只中だった。「アンデスの悪魔」と呼ばれたカルバハルをリマで説得し、ヌニェス軍へつく事を勧めたが断られた為、密かにペルーを離れた。放浪を続け、アタカマ砂漠でチリに向かうアントニオ・デ・ウジョア大尉と合流する事が出来た。

ディエゴ・センテノがピサロ軍の隊長を倒してクスコにいることを知り、ウアリナの戦い(1547年10月20日)でガブリエルはセンテノの側につき戦った。ガルリエルは捕えられてしまい、カルバハルは絞首刑に処そうとした。しかし、ピサロの支持者たちの取りなしでなんとか命を取り留めた。1548年4月9日ハキハワナの戦いが終結し、バルディビアの軍に加わった。

 

ガブリエルは妻イサベル・ビジャロエルとの間に8人の子供を儲けた。
「貴族の息子で、最も傑出した人物の一人である紳士」と評された。

 

スポンサーリンク

▶︎戻る

コメント