パウリュ・トゥパック・ユパンキ

Pawllu Tupaq Yupanki(?-1549年), インカの帝位継承者として擁立された傀儡皇帝(基本的にインカ皇帝の一人として数えられていない)。父は11代皇帝ワイナ・カパック、兄弟にマンコ・インカ・ユパンキ(ただし一説にはワイナ・カパックの子ではなく、下級貴族)がいる。マンコ・インカ・ユパンキがスペイン勢力に反旗を翻した時、パウリュは参加する事を断り、クスコに残った。ディエゴ・デ・アルマグロに擁立され、1537年に皇帝に即位。
やがてアルマグロ派がピサロ派に破れるとピサロ派についた。しかしピサロが暗殺されると、再びアルマグロ派についた。スペイン王室軍とピサロ派の連合軍にアルマグロ派が敗れると、今度は王党派についた。クスコにおいて唯一の皇帝の血筋であるのもあり、パウリュは常に最も強い勢力へ協力し生きながらえることが出来たと言える。最終的に洗礼を受け、ドン・メルチョール・カルロス・インカと名乗った。1549年にペルー総督ペドロ・デ・ラ・ガスカのもと、サイリ・トゥパックとスペイン勢力との講和を成立させ、ビルカバンバへ転居する寸前に病死した。その為、スペイン勢力とビルカバンバのインカ帝国の交渉は一旦保留状態となった。

 

兄弟:トゥパック・ワルパ

 

兄弟:マンコ・インカ・ユパンキ

 

子:カルロス・パウリュ・インカ

 

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