Pedro de Villagra(1513年〜),コルメナル・デ・アレナスの出身で、町議会の書記フワン・デ・ビジャグラの息子。
1537年スペインからカルタヘナ・デ・インディアスに移り、その後サンタ・マルタに移り、すぐにペルーに渡りフランシスコ・ピサロの下で働いた。バルディビアとともにチリに渡る。バルディビアのマエストレサラ、隊長、現場指揮官を務めた。サンティアゴ建都後、1547年サンティアゴのカビルドの市会議員に選出され、翌年9月10日、国王にバルディビアを総督に任命するよう要求するため、国王に出頭した。
ペドロはインペリアルの最初の入植者の一人であり、最初のコレギドルでもあった。大きな危険と労力を伴いながら4年間その職を務め、バルディヴィアからティルアの優秀なエンコミエンダを与えられたが、ペルーに向かった。
1556年7月クスコに住むドニャ・ベアトリス・デ・フィゲロア・イ・サンティヤンと結婚した。彼女は裕福な領主の未亡人で、持参金として1万ペソの家賃を持ってきた。
従兄弟のフランシスコがチリ総督になると、ペドロは大尉と中将の称号を与えられ(1561年3月15日)、50人の部下を率いてチリへ向かった。ペドロの軍事政策は軍を目標に集中させ、その分他の要塞を手薄にする傾向があった。
「生まれも育ちもよく、尊敬される人物であり、優秀な兵士にふさわしいものがすべて備わっている。」と評された。ただ一方では、「気立てがよく、顔がよく、人当たりがよく、愛情深く、根は陽気で、話しやすく、女性が好きだった為、評判が悪かった。」という見方もある。
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