Sayri Tupaq(? – 1561年), 9歳の時に父マンコ・インカ・ユパンキが殺害され、ビルカバンバのインカ帝国の皇帝となる。1549年にペルー総督ペドロ・デ・ラ・ガスカのもとビルカバンバのインカ帝国とスペイン勢力との講和の話が進んでいたが、パウリュ・トゥパック・ユパンキの死により一旦保留状態となった。
1556年には当時のペルー総督アンドレス・ウルタド・デ・メンドーサのもと交渉が再開し、条約が結ばれた。サイリ・トゥパックは洗礼を受け、ディエゴ・デ・メンドーサの名を授けられた。クスコで豊かの生活を送っていたが、1561年にユカイ渓谷で不審な死を遂げた。
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