-リマ 夜明け前-
明け方前のまだ冷たい空気の中、静かに身支度を整えている者がいた。
月明かりを受けるブロンドの短めの髪は、美しい輝きを放っていた。
身体の線は細いが引き締まっており、
それと不釣り合いな
少年とも少女ともとれるあどけなさの残る顔をしていた。
布を身体に巻きシャツに腕を通すと、茶色のベストの様な上着を羽織った。
小さな家は港から少し離れており、寂れた区画にある。
屋根は低く、壁も薄いが、通りから少し奥まっており、人目は少ない。
支度を終えると、日が昇るより前に市場へと向かった。
「今日のハーブは香りがいいぜ」
店主の言葉に、特徴のない声で応じた。
「ありがとう。少しだけ分けてくれ。」
店主が声に不自然さを感じる様子はなく、
彼の者は「寡黙で礼儀正しい若者」として周囲に溶け込んでいた。
この者の姓はレモンといい、ポパヤンからリマへ越してきた。
リマに住み3か月以上になる。
表向きは移住者であるが、
セバスティアン・デ・ベナルカサルと共に
本土から新大陸へ渡った政府の人間であった。
ブラスコ・ヌニェス・デ・ベラがゴンサロ軍を討伐に向かうと、
レモンは単独でペルー潜入を目指した。
しかしイニャキートの戦いでスペイン政府軍が敗れた為、
レモンの立場は宙に浮いてしまう事になる。
繋がりのあったベナルカサルもゴンサロ軍に投降してしまい、
かつ政府との連絡手段もない。
レモンは近々本国が再びゴンサロに対し行動を起こすと踏んでおり、
とりあえずリマでの潜伏は続けていた。
レモンは市場で購入した包みを老婆に渡した。
老婆
「フワンさん、いつもありがとね。」
レモン
「いえいえ、私も買い物に行くついででしたので。」
レモンには、近隣で言葉を交わすある老婆がいた。
足が不自由なため買い物も困難だった為、時折レモンが買い出しをやってあげていた。
ある日レモンが、道端で倒れていた彼女を介抱したのがきっかけで、
交流するようになった。
老婆
「最近、街中が慌ただしいのぅ。
また戦争が始まるらしく、隣のペニャロサさんも兵士としてかり出されたそうじゃ。
フワンさんはあまり出歩かないから平気かもしれんが、
気を付けなされ。」
レモン
「お気遣いありがとうございます。」
その時、二人の視界の先にに警備兵の一団が映った。
レモン「それでは、私はこれで。」
老婆は笑顔でレモンを見送った。
レモンは、自分の家へ着くと、
扉に仕掛けてある布が地面に落ちてない事を確認し、
家の中に入った・・
日が落ちた頃、レモンは部屋で夕飯の支度を始めた。
コンコン
扉をノックする音が聞こえる。
レモンは扉の隙間を覗き込むと、数人の兵士と老人の姿が見えた。
レモン「どちら様でしょうか?」
「我々は警備の者だ。
昨晩、衛兵の一人が警備中に昏倒させられた事件が起きてな。
聞き込みをしている所だ。」
「そうですか。」
そういうとレモンは扉を開けた。
「フワン・レモンだな。
昨晩何かこの周辺で変わった事はなかったか?」
レモン「特に何もありません。」
「良い匂いですな。」
おもむろに兵たちと共に来た老人が
レモンの隣に来て口を開いた。
レモン「はい、今日は良いハーブが手に入りましたので。」
レモンの背面では鍋がぐつぐつと煮立っている。
老人はレモンに優し気な笑みを浮かべると、
突如下方から天井に向かうようにナイフでレモンを切り付けてきた。
レモン(何!・・だが遅い。)
レモンは上体を捻じりながら横に反れ、ナイフを躱した。
周りからは、驚いて偶然ナイフを躱す形になった様にも見えた。
シャコッ!
レモン(えっ!)
ナイフには刃渡りが伸びる仕掛けがしてあった。
レモンは致命傷は免れたが、
身体側面のアバラから切れ上がる様にして衣服が裂けた。
バサっ!
するとレモンの胸元部分が大きく弾み、
シャツが膨れ上がった。
「な・・これは・・」
兵士達はざわめきだした。
「オナゴのな。
のう、フワナ殿。」
ナイフを手にした老人は笑みを浮かべた。
レモン(わざと速度を落としナイフを振るったという事か・・私が躱すのを見越し、丁度胸を押さえつけていた布だけを切る様に・・こんな事が出来る老人はここでは1人しかいない・・)
「流れ者の女か。
一人暮らしは怪しまれると思って、男装をしていたという事か・・」
老人「ヒョハハ、たわけ者が!そんな可愛いものではないぞ。
この体捌き、只者ではないのがわからぬのか?」
警備兵に緊張が走った。
老人「素手で男どもを倒してしまうブロンドの女。
顔は幼く、たわわな乳。
北方での噂は本当であったか。」
レモンは身構えた。
老人「ほう、隙がないのぅ。
昨晩の件、人を締め落とす事に慣れた者の犯行と踏んでたが。
噂のオナゴであるならば、男どもが敵わぬというのも頷ける。」
レモン(老人1人と、兵士が4人・・いけるか?)
老人「どうじゃ、ワシと一つ賭けをせぬか?
ワシを失神させる事が出来たら、
ここから逃亡する事を許可しよう。」
レモンは凛々しい表情で応えた。
「その賭け、受けよう。」
老人「皆の者!!
もしワシが失神した場合、決してレモンちゃんに手を出すでないぞ。
これを破ったものは鼻を削ぎ落とす!」
「ハッ!」
老人「ちなみにの、
ワシに失神させられるのも悪くないぞ。
今まで味わった事のない快感にいざなってやろう。」
そう言うと老人はナイフを地面に投げ捨てた。
ヒョホーゥッ!
老人は目に止まらぬ速さで
右手を伸ばしレモンの左胸を鷲掴みした。
レモン(早い!先ほどの動きはやはり・・)
そして老人は口元を緩ませながら手首を傾けると、
薬指を畳み込み指の先端を真っ直ぐ
レモンの乳首辺りに忍ばせてきた。
老人の指が動くと同時に、
レモンは左腕を老人の右肩に回すと、
キスをする様な仕草をした。
老人「ヒョヒョヒョウ!」
合わせて右腕で老人の左手の甲を掴むとそのまま
自身の股の間に突っ込んだ。
老人「ヒョーホッ!積極的じゃのう。」
老人は言葉とは裏腹に
予想だにしない動きに一瞬思考を停止していた。
その隙にレモンは左手で老人の首を掴み
自身の胸に老人の顔をうずめさせる。
老人「モフッ。」
そして、間髪入れずに素早く両足を跳ね上げた。
老人の左腕を深く自身の股にさらに押し込むと同時に、
右足を相手の首に巻きつけ、
続け様に左足を右足の上に乗せ
老人の首を挟み込んだ。
老人「おっとっとっと。」
老人は前傾姿勢になった。
老人の左腕はレモンの股の間にスッポリ入り
自由を奪われた。
レモンはすぐ様右手で
老人の右腕を妙な形で掴み出した。
老人(何じゃ?右手に力が入らぬぞ。人体を熟知しておる。)
すると、
レモンは老人の右腕の甲を
自身の右胸の外側に密着させた。
老人「ヒョー良い感触じゃのう。」
そして、間髪入れずに
両手で相手の頭を自身の胸へ押し込んだ。
「何だこの形は?!
カルバハル様がまずい状態なのか?」
レモン(やはりな、こいつがあの・・)
「いや、あれを見よ!
楽しんでおるようだぞ。」
カルバハルは股間を大きく膨らませていた。
「しかも仮にこれがこの娘っ子に有利だとしても
何ら問題はないであろう。
人間には歯があるって事を知らぬのか?」
「しかも、
カルバハル様はまだまだしっかりとした歯をお持ちだ!」
「カルバハル様!
早熟のリンゴに思う存分
かぶりついてくださいませ!」
しかし、カルバハルは一言も発さなかった。
「どうしたというのだ。
2人ともぴくりとも動かぬぞ。」
「!?
よく見ろ!
カルバハル様の右腕があんな所に!!」
カルバハルは自身の右腕で口元を塞がれ
レモンの両足により首を締め付けられている。
今でいう三角絞めの様な形になっていた。
カルバハルの顔には血管が隆起し
みるみるゆでダコの様に赤くなっていった。
ググググ・・
「おお、カルバハル様が上体を起こそうとしておられる。」
カルバハルは前傾姿勢から再び上体を起こし、
レモンを地面に叩きつけようと試みた。
ググググ・・
レモンはカルバハルの抵抗にも動揺する事なく
動きに合わせて自身の両足や
カルバハルの右腕の位置を調整してゆき
さらに深くカルバハルの首を締め付けていった。
グググ・・ドサッ・・
カルバハルは膝が真っ直ぐになる間近
力が抜けた様に崩れ落ちた。
警備兵達は唖然としている。
レモンはすくりと立ち上がった。
「カ、カルバハル様が・・」
「おのれー!!」
「待て!
言いつけを忘れたか、こやつを
追ってはならぬ。」
バサッ
レモンは何事も無かったように、
テーブルにあるマントを羽織ると外に出ていった。
「しかし、何とも幸せそうな・・」
カルバハルは体を痙攣させながら、
恍惚とした表情で意識を失っていた。
-リマ ニドスの家-
ゴンサロ・デ・ロス・ニドスは
フランシスコ・ピサロが存命の時や、
ピサロ暗殺後も父と遺恨のあったディエゴ・アルマグロと敵対し、
ピサロ一族へ貢献した。
が、ある日ニドスの居住区で先住民が凄惨な虐待される事件が起きた。
ニドスは隣人から濡れ衣を着せられた為、口論となった。
その時ニドスを庇った同郷の者が、非難してきた1人を殺害してしまう。
その為、皇帝から同郷の者の罪の赦しを請う為に本土へ一旦帰国する事になる。
そして本土に戻った際、妹達を連れ再び新大陸へ渡ってきた。
しかし到着した頃には、インディアス新法が施行されており、
日々の生活すらままならない状態となった。
そこで、ゴンサロが政府に反旗を翻した事に賛同し配下となり、窮地を救われた。
ニドスの妹の1人は嫁ぐ事になり、
リマではニドスともう1人の妹のドニャ・メンシア・デ・ニドスと二人暮らしをしていた。
ニドスは今だ独身のドニャだけが唯一の気掛かりであった。
ドニャは兄と同様手足が長く、
均整のとれた美しい顔をしていた。
そして流石に兄ほどではないが、
ほとんどの男はドニャを見上げなくてはならない程、長身だった。
また、甲冑を着込んでいる事も多く、
その容姿からニドス弟と呼ぶ者さえいた。
それゆえに、貰い手がいなかった。
ドニャ「兄さま、これは?」
テーブルには、沢山の金貨の入った袋が置いてあった。
ニドス「私は今度の戦いで死ぬことになるだろう。」
ドニャ「兄さま程の人が何を弱気な・・」
ニドス「今やゴンサロ様の軍とスペイン政府では
戦にならないぐらい差がある。
私たちによくしてくださったベニート様でさえ、
政府側についた。」
ドニャ「それなら兄さまも政府側につけば・・」
「それは出来ぬ。
この金はゴンサロ様から直接私に渡されたものだ。
先のイニャキート、ウアリナの戦から
私をいたくかって頂き
これ程の大金をくださったのだ。
この恩には報いなくてはならぬ。」
ドニャ「それで私にこのお金を・・」
ニドス「もし何か困った事があった時は
ベニート様を頼ると良い。
ベニート様がこちらを去る前にお前の事を頼んでおいた。」
ドニャ「もうどうにもならないのですか?」
ニドスは視線を落とした。
ニドス「これは私の責任だ。
お前までここへ連れてきてしまった事への。
そして最も気掛かりなのはお前の事だ、ドニャ。」
ドニャ「兄さま、私は大丈夫です。」
ニドス「確かにお前は女ではあるが腕が立つし、聡明だ。
きっと逞しく生きていけるだろう。
もし男だったら名を残す英雄になっていたかもしれぬ位にな。」
ドニャ「クスッ。
兄さまがそんな冗談をおっしゃるなんて。」
ニドス「大げさな事を言ってしまったが、だからこそ心配なのだ。
例え何が起こったとしても、
政府に復讐など考えないで欲しい。」
ドニャ「・・」
ニドス「私は
父上の遺恨を晴らす為、アルマグロと敵対し
多くの者を手にかけてきた。
ただ、憎しみの連鎖は深まるばかり・・」
ドニャ「兄さま・・」
ニドス「例え私の身にどんな事があろうとも、
私は政府を恨む事はない。
お前まで恨みの連鎖を歩む人生を送って欲しくはない。
お前は良き伴侶を得て、幸せに暮らして欲しい。
・・私の願い、叶えてくれぬか?」
ドニャ「分かりました。
けれど、私は兄さまとは違うのですよ。
私を貰ってくれる方なんて・・」
ニドス「大丈夫だ。
きっとお前の良さを分かってくれる方が現れる。
少なくとも私は
お前がとても素敵な女性に感じる。」
ドニャ「・・驚きました。
兄さまがそんな事を言うなんて・・」
ニドス「私だけではないぞ。
私の同僚の間でも、時折その様な言を聞いた事がある。」
ドニャ「兄さまがそんなに口がうまいなんて、
知りませんでした。」
ニドス「口がうまい?そうなのか?」
ドニャ「兄さま、私からもお願いが・・」
ニドス「何だ?」
ドニャ「この戦いが終わり生き延びることが出来たら、
姉さまが欲しいです。」
ニドス「姉さま?姉妹ならいるではないか?」
ドニャは再びクスリと笑った。
ドニャ「やっぱりさっきの言葉は奇跡でしたね。
兄さまにも妻を娶り
家族を作って欲しいのです。」
ニドス「そ、それは難しい話だな・・」
ドニャ「何が難しいものですか!
兄さまと結婚したい方なんて幾らでもおりますよ。
私の強いお願いです。」
ニドス「わ、わかった・・」
ドニャは視線を落とし言葉を添えた。
ドニャ「例え、私と離れ離れになったとしても・・」
ニドスは真剣な顔をしてドニャに答えた。
ニドス「約束しよう。」
「ドニャは兄さまと
この様な話が出来て幸せでした。
今のこの時を・・いつまでも大切にしていきます。」
そう言うとドニャは兄に抱きついた。
数秒の時が経ってもドニャは一向に、ニドスから離れようとしなかった。
ニドス「ドニャよ・・
それではいつまでもキス出来ぬではないか・・」
ドニャは名残惜しそうに両腕を下ろした。
ニドスはドニャの両頬にキスをした。
「では、行ってくる。」
そう言うとニドスは
包み込む様な透き通る眼差しを向け、
妹に背中を向けた。
-1548年4月9日ハキハワナ-
ゴンサロ軍とガスカ率いる政府軍は、チチカカ湖の北東の地ハキハワナで、対峙していた。
「ペドロ・デ・バルディビア、只今馳せ参じました。」
「貴君がバルディビア殿か。
チリがまだ不安定な中よく駆けつけてくださった。」
男はバルディビアに言葉を返した。
見惚れるわけでもなければ、畏怖する様な圧迫感もない、賢そうでもなければ愚かそうでもない、野獣の様でもなければ狡猾そうでもない、暖かみもなければ冷酷そうでもない、ただただ印象の悪い顔を持つ男。
ペドロ・デ・ラ・ガスカ── 新大陸を一変させた交渉人である。彼の有能さと傑出した功績は、根幹に誠実さがあったからとも言われるが、ルックスの与える印象の悪さを克服する為に、磨かれていったのではないかという説まである。
バルディビア「いえいえ、あまりお力になれず申し訳ございませぬ。」
ガスカ「武器や物資の補充有り難く頂戴する。」
バルディビア「この者は、私の腹心のヘロニモ・デ・アルデレテと申します。
以後、私共々お見知りおきくださいませ。」
アルデレテはガスカに一礼をした。
ガスカ「うむ。よろしく頼む。」
バルディビア「反乱軍についていた者のほとんどが政府軍に付き、
誰の目に見ても勝敗は明らかですな。
ガスカ様の交渉手腕は、いたく勉強になりました。」
ガスカ「新大陸の方々は聡明な方ばかりで助かっておるわ。」
バルディビア「後はいかにこちらの損害なく、
戦を終結させる事ぐらいですかな。」
ガスカ「その通りだ。
反乱軍にはまだ厄介な者が残っておる。」
バルディビア「フランシスコ・デ・カルバハルの事ですな。」
ガスカ「そうだ。
かの者に戦況を幾度も覆されたと聞いておる。
そして、これだけ優勢であるにも関わらず
かの者と直接戦う事に対して、および腰になってる者たちも多い様だ。」
バルディビア「無理もありませぬ。
反乱軍の側にいた者たちは、
きっとあの老人の恐ろしさを
身を持って知っておりますから。」
ガスカ「貴君はその者の事をよくご存知の様だのぅ。」
その時、衛兵がその場に入ってきた。
「報告です!
女がガスカ様へお目通り願いたいとの事です。
リマへ潜伏していた政府の者だと言っております。」
ガスカ「通せ。」
「レモンと申します。」
コメント
「アラウコの叫び」を読んでいただきありがとうございます。
現在別件でのチャンスがあり、また暫く休載となります。
「アラウコの叫び」のお話はこの先もある程度出来てはいるのですが、文章チェックと挿絵に関してはまだ出来ておりません。
今頂いてる話がどうなるかはまだ全然読めないのでなんとも言えないですが。
他の媒体等での連載は、こちらで掲載されてる27話まで追いつくのは来年の5月頃です。その為、その頃までにこちらでの連載を再開したいです。
毎月生活の8割は「アラウコの叫び」の事ばかりして暮らしてますが、時には他に集中しなくてはいけません。
とは言え、今の状況には非常に感謝してます。
また、お声がけや、読んでくださる方々の有り難みを感じております。
もし、ご覧になった方で何か感想やコメントがありましたら、是非気軽にコメントして頂ければと思います。