Juan Remón,生誕日や出生地は不明。後にガルシア・ウルタド・デ・メンドーサの右腕となる。
1539年に総督セバスティアン・デ・ベナルカサルとともにスペインを出発し、ゴンサロ・ピサロの反乱の知らせが届くまで、ポパヤンの発見と征服に従事した。12人の兵士とともにブラスコ・ヌニェス・ベラのもとへ向かい、ペルーに到着した。3ヶ月以上リマへ潜伏したが、カルバハルに従うように強制される事になる。レモンはリマから2リーグ離れた陣営から逃れ、ガスカ軍に加わり、ハキハワナの戦いに参戦した。
レモンはすぐにチャルカスに定住し、約6年間ポトシに居住し、そこまで重要ではない任務に従事していた。その後、チュキンガの戦いで王権側で戦い重傷を負い、2年以上も足が不自由であった。信頼のあるレモンは、戦後ラパス市のコレギドール兼隊長に任命された。
ガルシア・ウルタド・デ・メンドーサが,チリへ向かう途中であると聞き、共にコキンボまで行った。ガルシアにより野戦司令官に任命され、昼夜問わず、細心の注意を払いった。グアザバラで戦いなどを含めて、1万ポソを超える費用を費やした。
軍人として、勤勉であり、思慮深く規律を守る人物と評されていた。
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