ペドロ・デ・バルディビィア

Pedro de Valdivia(1497年4月17日〜),「アラウコの叫び」においてスペイン勢力の中心となる人物。エクストレマドゥーラ生まれ。イタリア戦役などの戦を潜り抜けてきた叩き上げの軍人であり、新大陸に渡りマプチェ達と壮絶な戦いを繰り広げた傑賊。

 

1520年コムネロスの反乱鎮圧に兵士として参加し、その後カルロス1世の軍隊に所属。特にフランドル戦争やイタリア戦争、パビアの戦い、ローマ劫掠(1527年)で活躍した。1525年には、サラマンカ出身の貴族ドニャ・マリーナ・オルティス・デ・ガエテとサラメアで結婚。

 

1535年にヘロニモ・デ・オルタルの遠征隊と共に新大陸を目指し、エルドラドを求め同年にクバグワ島に到着。コムネロスの反乱鎮圧の戦友であったヘロニモ・デ・アルデレテと共に、ヌエバ・アンダルシア州の発見と征服に参加した。また、サン・ミゲル・デ・ネベリの設立に立ち会った。

 

オルタルとの意見の相違により、何人かはより有望な地を求め、バルディビアやアルデレテを含む約40名が反乱を起こし逃亡した。バルディビア達は、アウグスブルゴのべルセル家(ヴェルザー家)の支配下にあるベネスエラ州の領土に到達。そこで脱走兵としてサンタ・アナ・デ・コロでドイツ当局に逮捕され、首謀者たちは裁判のためにサント・ドミンゴに送られた。
バルディビアは反乱のリーダーには含まれず、釈放されてコロに残ることになる。後に釈放されコロに留まった。この滞在中に、バルディビアはベルセル家に仕えるスペイン人の金貸しフランシスコ・マルティネス・ベガソと親しくなった。数年後にバルディビア、アルデレテ、マルティネスはチリ征服のために力を合わせることになる。

 

1538年、バルディビアはペルーに渡り、フランシスコ・ピサロ軍に入隊し、ピサロとディエゴ・デ・アルマグロの内戦に野戦司令官として参加。この紛争が終わり、アルマグロがラス・サリナスの戦いで敗れたとき、彼の武功が認められ、セロ・デ・ポルコ(ポトシ)の銀鉱山とラ・カネラ(チャルカス)の谷の土地が褒美を与えられた。ピサロからチリ総督に任命されチリの征服の軍を率いた。サンティアゴ(1541年)、ラ・セレナ(1544年)、コンセプシオン(1550年)、バルディビア(1552年)、ラ・インペリアル(1552年)など、多くの都市を建設した。1553年に建設したロス・コンフィネス要塞は、後にアンゴル市となった。

 

バルディビアの肖像はチリの500ペソ紙幣に使用されており、小惑星「2741 Valdivia」も彼の名前にちなんで命名されている。

 

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