アロンソ・デ・レイノーソ

Alonso de Reinoso(1517年〜),トレドのトリホス出身、マケダ出身との説がある。フワナ王妃の執事で、後にマケダ公爵の執事となったディエゴ・デ・レイノーソと、マリ・ゴンサレス・カンデラスの息子。清廉潔白で気高く由緒正しい血統であるが、理解もある紳士でもあった。

1535年6月3日フワン・グティエレス所有の船で、カルタヘナ・デ・インディアスに向けてセビリアで出航した。フランシスコの右腕として幾多の戦場で功績を残した。

 

アデランタド・モンテホと共にホンジュラス征服に貢献し、サンペドロ市、コマヤグア市、サンホルヘ市を占領し、8年以上滞在。ドン・ペドロ・デ・アルバラドと共に中国発見に向かう。しかし航海の途中で新大陸のハリスコで反乱が起きた為、引き返すことになった。鎮圧に成功したものの、ドン・ペドロ・デ・アルバラドが死去し、再びアデランタド・モンテホの元に向かいメキシコ市で副官をすることになった。ユカタンの平定に携わり、カンペチェ港のサンフランシスコ市とメリダ市に王家の名において入植した。ニカラグアのデサグアデロの平定、ヌエバ・サラマンカ市の発展させるなど様々な功績を残した。

 

ペルーでゴンサロ・ピサロが反乱を起こすと、エル・ノンブレ・デ・ディオス市でガスカともとへ駆けつけハキハワナの戦いに参加した。
フランシスコ・デ・ビジャグラと出会いユングロ遠征に同行し、ジュリエス、コメチノネス、クヨ、カバ、ディアギタスなどの地を発見。あらゆる危険を乗り越え、未踏の地を700リーグ近く踏破し、10月末にサンティアゴに到着した。そこからバルディビア市とその名の湖に向かった(1552年3月)。10ヶ月が経ちフランシスコと共に北海の探検をし、1553年8月に帰還した。

その後、アラウコ戦争で様々な武勲を立てた。

 

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