Felipe II(1527年5月21日 – 1598年9月13日)カルロス1世からフェリペ2世へ国王の座が受け継がれるとスペインのあり方も変化した。その影響は南アメリカの様々な地域にまで波及することになる。日本から来た天正遣欧少年使節とも対面し、歓待した。
慎重王、書類王と呼ばれ、戦争には出ず宮殿に篭り、あらゆる書類まで目を通し細部まで目を光らせ、広大な領土へ指示し君臨していた。常に戦場にいたカルロス1世とは真逆のスタンスでスペインを反映させ続けた。
熱心なカトリック教徒であり、カトリックによる国家統合を目指した。フランスやオスマン帝国との戦争や、ネーデルラントやイングランドとの対立などにより、莫大な借金や国庫支出に悩まされた。
4度の結婚をしており、2番目の妻はイングランド女王メアリー1世だった。彼女がブラッディメアリーと呼ばれる程苛烈な行動をとっていたのは、フェリペ2世の為だったという声もある。メアリー1世が亡くなるとエリザベス1世にまで求婚をしたが、断られた。
1580年のポルトガル併合によって、ポルトガル国王フィリペ1世も兼る事になった。領土のどこかしらは太陽が出ているという程広大な範囲で勢力を拡大したスペインは「太陽の沈まない国」と呼ばれることになる。
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